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勘九郎地蔵尊跡を参詣させて頂きました

去る10月7日、勘九郎地蔵尊跡に祀られてございます二代目勘九郎地蔵尊(椿地蔵)ならびに子育て地蔵尊へお参りさせて頂きました。

当日は、同地蔵尊の現在の祀り手でいらっしゃいます田澤様と地域の歴史を知る方々に当山へお越し頂き、勘九郎地蔵尊の由来等について色々とお話を伺いました。

その後、そのまま勘九郎地蔵尊跡へ皆様にご同行頂き、お参りをさせて頂きました。

先代がお参りに行ったという話は聞いておりませんので、自性院住職としては久しぶりの参詣になったのではないかと存じております。


さて、現在当山に安置されてございます勘九郎地蔵尊は、万治三年(1660年)にこの地に建立されました。

享和4年(1804年)に自性院に移設されるまではこの地にあり、多くの方々の信仰を集めたと伝えられております。(※勘九郎地蔵尊の由来につきまして、詳細は「歴史」カテゴリー内の紹介ページをご覧ください。)

現在、勘九郎地蔵尊跡へ祀られている2代目の勘九郎地蔵尊は、元々明和9年11月(1772年)に建立された道標を兼ねたお地蔵様です。初代勘九郎地蔵尊が自性院へ移設されるまでの32年の間は、この地で一緒に祀られていたことになります。

(※地蔵菩薩の種字「カ」が彫られています。初代勘九郎地蔵尊に彫字されているのは「ア」字です。お顔部分は以前破損したため、修復されたそうです)


田澤様のお話によれば、現在の安置場所は移設後のもので、元々勘九郎地蔵尊が祀られていた場所は今の場所より少し坂を下がった田澤家敷地内になるそうです。

田澤様が子供の頃、今の場所へ移設前はそばに椿の木が生え、井戸があったと言います(昔は茶屋があったということで、その時にこの井戸は使われていたのかもしれません)。

勘九郎地蔵尊は、椿の木と一緒に祀られていたことから別名「椿地蔵」とも呼ばれていたそうです。今でも勘九郎地蔵跡の安置所には椿の木が植樹されており、初代の時と同じくこちらのお地蔵様も「椿地蔵」と呼ばれております。

現在の安置所は、代々にわたり田澤家皆様方中心に手厚く整備され、祀られております。

堂内には、移設前の貴重な写真や由来書、言い伝え等の掲示がされており、一見の価値ありです(※注1)。石仏や道標等、歴史好きの方にもぜひお参り頂きたく存じます。

他にも、田澤様先代の方々がご奉納された子育て地蔵尊や、地域の方々が祀られた小さなお地蔵様が祀られております。

今でも多くのお参りの方々がいらっしゃるそうで、維持管理費はお賽銭で賄われているそうです。
いつでもきれいに祀られていて、頭の下がる思いです。

また椿が咲く時期にお参りさせていただこうと考えております。


勘九郎地蔵尊が元々あったこの地には、現在ではこども医療センターや保育園、特別養護老人ホームなど、医療や福祉に関係する施設が集まっております。

また、同安置所は令和元年に正式名称が決まった「芹が谷やまゆり園舎」(津久井やまゆり園芹が谷園舎)の裏手にあたり、お地蔵様から見ればすぐ正面眼下に同施設が位置してございます。

勘九郎地蔵尊は、道行く人々の安寧や、病に苦しむ人々を救って下さるほか、子ども達をにこやかに見守って下さるお地蔵様と伝えられております。

これからも、子育て地蔵尊と共にこの地にいらっしゃるすべての方々をお見守り頂き、心の安らぎをもたらして下さいますよう願いを込めて祈願をさせて頂きました。

今回ご案内・ご教授頂いた皆様に深く御礼申し上げます。

合掌


※注1
同安置所には様々なご由緒が掲示されておりますが、数か所に誤記がございましたので、住職が分かる範囲で以下に訂正情報を掲載しておきます(より正しい記述をご存知の方がいらっしゃれば、ご一報をよろしくお願い申し上げます)。

・正面上「由来書」・・・誤:「万延三年」、正:「万治三年」
・正面向かって右手下「勘九郎地蔵尊跡」掲示物・・・誤:「享和四(1687)年」、正:「享和四(1804)年」
・正面向かって右手下「勘九郎地蔵尊跡」石碑・・・誤:「昭和十年」、正:「享和四年」(昭和10年は第34世髙橋英禪師が自性院へ地蔵堂を建立し、安置した年になります。※詳細は「勘九郎地蔵尊縁起」のページをご覧下さい)

以上


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