勘九郎地蔵尊縁起
久保山自性院
秘蔵勘九郎地蔵縁起
昭和10年8月4日、当山第34世髙橋英禅僧正の時に勘九郎地蔵尊の地蔵堂が建立されました(現在の安置所はその後、昭和50年に第37世聖善僧正が再建したものです)。
その際、髙橋英禅僧正が木板に書き記した「久保山自性院秘蔵勘九郎地蔵縁起」が残っておりますので資料として画像を掲載しておきます。(この縁起は最初は地蔵堂に掲げられていたようですが、現在は本堂内に保管されております)
▼原文(旧字で活字に出ないものは新字で代替)
久保山自性院秘藏勘九郎地藏縁起
抑モ當院ニ安置シ奉ル地藏菩薩ハ今ヲ去
ル二百七十八年以前鎌倉街道近道ニシテ
武相境界ノ臺ニ當院飛地ヘ万治三年五月
十五日道山禪定門成三菩提ノ冥福ヲ祈ル
為ニ地藏菩薩ヲ彫ミ俗ニ云フ勘九郎地藏
菩薩之レナリ其レヨリ追々信仰者モ増シ
威光日ニ加ハリ晝夜香花ノ絶間ナク命日
ニハ縁日商人芝居等マデ催シ實ニ盛大ナ
リシト傳ヘラル其ノ後享和四年四月當院
関係者協議ノ上當院ニ遷シ境内ニ安置セ
リ然ルニ文化九年冬十二月廿四日當院火
災ニ遭遇シ一宇モ残ラズ焼失シ其ノ再建
ノ為灼カナ地藏菩薩御誓願ノ宣布ヲ怠リ
今日ニ至リシモ是迄此地藏菩薩ノ御利益
ヲ享ケシ者数カギリナシ今度篤信徒ノ永
野村永谷大津氏並ニ地元信徒等霊験灼々
タル地藏菩薩御誓願ヲ廣ク宣布シ堂宇ヲ
建立シテ發願スベキモノナリ
庶幾クバ大慈悲ノ地藏菩薩此ノ世ノ衆生
ヲ守護シ給ヘ
昭和十年八月四日
大久保町自性院住職
髙橋英禪
地元信徒一同 敬白
▼読み仮名・句読点・注釈付
久保山自性院秘蔵勘九郎地蔵縁起
抑(そもそ)も当院に安置し奉る地蔵菩薩は、今を去る278年以前、鎌倉街道近道にして武相境界の臺に、當院飛地へ万治3年5月15日(1660年6月22日)、道山禪定門(勘九郎の戒名)成三菩提の冥福を祈る為に地蔵菩薩を彫(きざ)み、俗に云う勘九郎地蔵菩薩之(こ)れなり。
其れより追々信仰者も増し、威光日に加わり昼夜香花の絶間なく、命日には縁日商人芝居等まで催し、実に盛大なりしと伝えらる。
其の後、享和4年4月(1804年5月)【*注1】、当院関係者協議の上、当院に移し境内に安置せり。
然るに文化9年冬12月24日(1813年1月26日)、当院火災に遭遇し一宇も残らず焼失し、其の再建の為、灼(あらた)かな地蔵菩薩御誓願の宣布を怠り今日に至りしもこれまでこの地藏菩薩の御利益を享(う)けし者数かぎりなし。
今度(このたび)篤信徒の永野村永谷大津氏並に地元信徒等、霊験灼々たる地蔵菩薩御誓願を広く宣布し堂宇を建立して発願すべきものなり。
庶幾(こいねがわ)くば大慈悲の地藏菩薩この世の衆生を守護したまえ。
昭和10年(1935年)8月4日
大久保町自性院住職
(第34世)髙橋英禪
地元信徒一同 敬白
【*注1】…享和4年は2月11日に改元となり文化元年となっていることから、本来は「文化元年4月」という表記が適当かと思われます。