僧侶が学ぶ、ということの大切さ

本日は、神奈川県仏教会様主催の講演会(パネルディスカッション)『地域仏教の将来を問う~現代の葬儀事情とお寺の生き残り戦略~ 』に参加させて頂きました。
一般の方々への意識調査データを元に、現状に即した分析を錚々たるパネラー方々にお話頂きました。大変貴重なお話を賜り、パネラー方々はじめ、神奈川県仏教会役員方々に御礼申し上げます。
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一般の方々の意識の変化や時流、少子化、参入障壁の低い葬祭業という業種の特殊性やお金、利権の話等、第一線の現場での諸々のお話はとても参考になりました。
ただ、その上で感じたのは、諸々の副次的な事情はあるにせよ、根本的なところでは私たち僧侶の説明不足、勉強不足、世間ずれということが一番の原因ではないか、ということです。
特に、近年の僧侶の学識の低下、俗化は深刻なレベルになっていると感じます。
いわゆる、一般の方々の寺離れ、葬儀離れ、法事離れ、ということよりは、単純に僧侶離れではないか、というのは現在当山にて僧侶向けの講義を行って頂いている東賢性師の弁ですが、私も同じように考えております。
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今回お話頂いた葬祭業の方からは、一般の方々の僧侶への信頼は高い、とのお話を頂きましたが、現実は果たしてそうでしょうか?
法外な離檀料や布施を強要したり、檀信徒の方や葬儀社の方に対して横柄な態度をとったり、話をほとんどせずにただ読経してお布施をもらって退出していく僧侶の話を、私は寺子屋にいらっしゃる方々からもよく聞くのですが…。
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話の中で、「寺が、というよりは仏教の教えを残し、伝えることが目的」とのお話がありました。
私もその考えには賛同しますが、そうであるならば、まずはその伝えるべき「仏教」を私たち僧侶が正しく知り、理解していなければなりません。
さらに、その仏教の教えを基盤として、民間信仰についても学びを深めていかなければ、一般の方々の「信仰」に寄り添うことはできませんし、方便を正しく用いることもできません。
各宗派の奥深いところを、という志の高い話ではなく、基本的なところで良いと思うのですが…その仏教の基本的なところや民俗学をきちんと知っている僧侶が少なくなってきている、ということが大問題だと感じています。
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以前、こういう記事が産経新聞に掲載されていましたが…
記事中に、『即席僧侶たちは本山の歴史を語れなければ、読経もおぼつかない。塔婆(とうば)や位牌(いはい)の書き方も乱雑で、加藤さんは「メジャーリーガーと草野球くらいレベルが違う」と語る。』と書かれていますが、即席僧侶ではない僧侶は皆、きちんとお話が出来て、塔婆や位牌が丁寧に書けているのでしょうか?
自戒も含め、読経だけできていれば良い、などとする風潮には、堂々と「そうではない」と言えるようにしっかりと学び、精進していきたいものです。