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お大師様の誕生日と青葉祭り

弘法大師空海様が不空三蔵の生まれ変わりである、という信仰から「6月15日」がお大師様の誕生日となったそうです。(青巖寺高井僧正によれば、実際、江戸時代までの高野山年中行事や法会の記録には「降誕会」の記述はあまり見られず、不空三蔵の御命日としての法要が修されていたそうです)

これは、お大師様が唐よりご帰朝された際に朝廷への正式な報告文書として書かれた「御請来目録」や「大唐神都青龍寺故三朝國師灌頂阿闍梨耶恵果和尚之碑」の中に根拠があります。

「阿闍梨耶恵果和尚之碑」の記述によれば、お大師様の師である恵果和尚がご入滅された後、お大師様が道場にて深い瞑想に入られていた時に恵果和尚が忽然と現れ、「汝未だ知らずや、吾れと汝と宿契(しゅくげい)の深きことを。多生の中に相い共に誓願して密蔵を弘演(ぐえん)す。彼此に代るがわる師資となることただの一両度のみにあらず。この故に汝が遠渉(えんしょう)を勧めて我が深法を授く。受法ここに畢んぬ。吾が願いも足んぬ。汝は西土(中国)にして我が足を接す。吾れは東生し(日本に生まれ)て汝が室に入らん。久しく遅留することなかれ。吾れ前(さき)に在って去(い)なん」と告げられたそうです。

これは、本来唐へ20年留学しなければならないところをたった二ヶ月で日本へ帰国する、という決断をした理由として書かれているものですが、「弘法大師空海様が不空三蔵の生まれ変わりである」ということの観点から簡潔に書かせて頂けば、要するに「恵果和尚とお大師様が出会ったのはこれが初めてではなく、生まれ変わる中で、互いに師となり弟子となり、共に密教を伝えてきた関係にあった」ということです(続けて、これからも密教を弘めていく関係は続いていくこと、自分は今度は日本に生まれて貴方の弟子になり、また法を受け継ぐから唐に留まっていてはいけない、というようなことを告げられています)。

恵果和尚の師が不空三蔵であることから、その生まれ変わりであるはずのお大師様の御誕生日は不空三蔵の御命日、ということになったそうです。
(以上は、当山住職が昨年度の横浜清風高等学校の青葉祭りにてご法話を担当させて頂きました折、お話を準備するための勉強メモからの紹介でした。)

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