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安倍元首相銃撃事件についての雑感

すでに世界的に周知の如く、先週は大変傷ましく悲しい事件が起こってしまいました。

安倍晋三元首相は、日本のみならず世界に大きな影響を与えた政治家であると同時に、チベット仏教や文化についても関心を持ち、チベット問題についても理解の心を持って頂いた人物でした。

葬儀の映像や弔問方々の情報が色々と報道されておりますが、改めて安倍元首相の偉大さに敬服する次第です。

心よりお悔やみ申し上げます。

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さて、7月8日「釈尊の人生に学ぶ9」、7月9日「釈尊の人生に学ぶ13」、7月10日「写経会」で来山下さった方々へは、今回の事件についてふれ、関連するお話をさせて頂きました。

まだ情報が少ないので確定的なことは何も言えないのですが、その時に分かる範囲で、「心」や「慈悲」の観点からお話しました。

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今回のような事件は二度と起こしてはならないものですが、それではどのような観点から問題解決につなげていけば良いのでしょう。

警備体制の見直しや、銃器やそれに類するもの又はその製造法についての情報の規制等が挙がってきているのは分かりますが、果たしてそれは根本的な解決になるのでしょうか。

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今回の警備体制をしっかり見直すことで、要人の方々の安全性は高まることでしょう。

しかし、私たち一般人を普段警護してくれる人間などいません。

2008年の秋葉原無差別殺傷事件や2019年の京都アニメーションスタジオ放火殺人事件では、SPなどつきようも無い、一般の方々が犠牲になりました。

要人の警備体制の見直しは、私たち一般人にとってはあまり関係のない話なのです。

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また、事件に刃物が使われれば刃物が、銃が使われれば銃が規制強化の対象になりますが、人を殺したり襲ったりする手段は、無数にあります。

格闘に精通している人間でなくても、方法によっては素手で人を殺すこともできます。

問題となる事件が起こる度に凶器となった道具の規制の話は出てきますが、本来道具自体に善悪はありません。

刃物でも銃でも、使用方法を適切に使うのであれば便利な道具です。

先に挙げた秋葉原無差別殺傷事件で最初に使われた「凶器」はトラックでしたが、トラックも正しく使うのであれば、私たちの生活になくてはならない便利なものです。

道具をどのような動機でどのように用いるのかによって善悪の結果が生まれます。

単純に言えば、要するにその人の「心」が原因です。

本当に問題にすべきは、事件を起こそうとする人の「心」です。

具体的には、「孤独のまま放置され、三毒の煩悩に染まりすぎた人の心」が問題だと私は考えていますが、同時に、そうした心について敬遠・無視しがちな日本社会の風潮にも一因があるのではと感じています。

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今回の安倍晋三元首相銃撃事件においての山上容疑者は、単独犯であるのか背後に組織立ったものが関係しているのか、あるいは第三者にそそのかされたのか現状では全く不明ですが、少なくとも彼自身の心の状態は、「孤独のまま放置され、三毒の煩悩に染まりすぎた人の心」であったと推測しています。

三毒というのは、私たちに悪行為をさせてしまう原因となっている3つの心です。

「貪(貪欲)・瞋(怒り)・痴(無知)」の3つの心のことですが、これらは相互に依存しあって悪行為をする原因となります。

犯罪者に限らず、私たちの心には三毒が生じていますが、その強さは人それぞれです。

状況・条件・機根等によって絶えず変化しています。

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孤独というよりも、信頼し頼ることができるものが欠如した状態の心、と言った方がより適切かとも思いますが、そうした心は、煩悩を止めることが出来ずに暴走を始め、現実を無視した妄想に溺れやすくなり、貪欲が高まり、怒りの衝動が強くなります。

怒りがどのように発現するかはその人の状況によりますが、これが外に向かえば暴力や殺人に、内に向かえば自傷行為や自殺になります。

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こう書くと、「何とひどい心を持った人間だ」と思うかもしれませんが、これは他人事ではありません。

先述の通り、三毒は誰の心にもあるのです。

状況により、私たちの誰もが「孤独のまま放置され、三毒の煩悩に染まりすぎた人の心」になる可能性があります。

そうなるかならないかは、私たちの心に信頼できるものがどれだけ多くあるか、あるいは、その信頼するものに対する「戒(ルール)」をどれだけ持っているかに因る、と私は考えています。

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「戒」というと一気に説教めいた感じになってしまいますが、ここでは、私たちが「信頼するものとの関係を良好にするために守っている何か」くらいで考えてみてはどうでしょう。

家族に対して、友人に対して、学校や会社等で関わる人達、SNSで知り合った人達等々、日常的に関わることになる人間関係において、私たちはそれぞれの信頼度によって、多かれ少なかれ、その関係がデメリットとならないような付き合い方のルールを作り、自然と守っていませんか。

私たちの心身が健全な状態であれば、こうした様々な「ルール」をきちんと使い分けることができますが、この世界は無常なので、常に変化をしています。

心身の状況や人間関係は、いつでも変化します。

それらが、健全な状態であり続ける保障などありません。

強い信頼を持つべき人が、ある時裏切り、あるいは突然亡くなり、別れの時がやってきます。

それが理不尽なものであればあるほど、私たちはその変化を受け入れられず、非現実的な妄想に捉われ、貪欲や怒りに染まり、ルールを手放してしまうのです。

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3つ4つ信頼できるものが残っていれば良いですが、ほぼ全てを失う状況になってしまった人の心は、殆どのルールが意味を成さないものになってしまいます。

この心の状態になった人は、それこそ失うものが何も無い状態なので、その人の三毒に応じた突飛な行動に出てしまう可能性が高くなります(あるいは、形振り構わず、悪いものと信頼関係を構築しようとしたりします。良くないと分かっていても悪いグループから抜けられない人は、良い信頼関係を築けなかったり失ってしまったりした人達なのです)。
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今回の安倍元首相銃撃事件においては、山上容疑者の供述に整合性を欠くところがあり、本当のところは私には何も分かりません。

しかし、こうした事件が起こってしまう背景には、本当に大変な苦悩を抱え込んでいる孤独な心を持った方々を腫物扱いし、無視し、敬遠しがちな日本社会の風潮が影響しているのではないか、と私は感じています。

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とはいえ、山上容疑者を庇う気持ちがあるわけではありません。

様々な事情があったにせよ、今回の銃撃事件を起こしたのは山上容疑者本人であり、彼は自分が行った行為に応じた結果を受ける(法的な意味だけではなく、業の話としてとらえています)ことでしょう。

ただ、彼がこれから被る罪科や事実関係について、私の立場から言えることは何もないのです。

そこは、様々な専門職の方々が法にそって情報を集め、決定していくべきことです。

私のような一般人が触れられる情報や知識では到底判断できるものではなく、口出しすべきことではないと思います。

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しかし、今回に限らず、過去には似たような心の状態にある人間による凄惨な事件が何件も起きています。

これらの事件について、同様の事件が起きづらい社会にしていくためには、手段の規制だけでは不十分と感じています。

本当に制し、理解していかなければならないのは「心」です。

この点については、仏教者の立場から言うべきことがあると感じ、文章にした次第です。

今回の銃撃事件について、因果関係をしっかりと明らかにし、その上で、今回の山上容疑者のような人の心を、孤独なまま放置しないような社会の基礎構築や教育環境を見直し整えていくことが、同様の事件再発を防止する一助となるのではないかと私は考えています。

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このような観点からのお話を、8~10日のまなびやでは「慈悲」の話と交えてお話させて頂きました(話す時間により、かなり端折っている部分もありましたが)。

あれから数日経ち、新たな情報が出てきていますが、同時に、それらの情報に対する一般の方々の心の動きも気になっています。

色々と言いたいこともあるのでしょうが、その行為の動機は何でしょうか。

心の動きや変化に、注意深い気づきを入れていくことは、私たち自身の心や行為を健全なものにしていくために大切なことだと、私は考えています。

合掌

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