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原爆死没者慰霊の日

8月6日は広島、そして本日8月9日は長崎にて、それぞれ原爆死没者追悼及び平和記念式典の中で「平和宣言」、そして「平和への誓い」がなされました。

それぞれに含蓄のある切実な願いと慰霊の意が込められており、大変感銘を受けました。

改めて、原爆によって亡くなられた方々のご冥福を祈念申し上げるとともに、核兵器廃絶及び世界平和実現のための現実的な行動を支持していきたく存じます。

ただし、ひとつ、忘れてはならないことがあると思います。

核兵器という非人道的な兵器を無くすということももちろん重要ですが、世界平和実現のために本当に必要なことは、「そのような兵器に頼り、使おうとするような人の心を正す」ことだと私は考えています。

兵器による凄惨な殺戮という結果は、他ならぬ人の心によってもたらされる、ということを忘れてはいけません。

核兵器であろうが包丁一本であろうが、人を惨たらしく殺すことはできます。

その規模と範囲、効果や危険性において、核兵器が並外れていることは言うまでもありません。

しかし、無辜の人々が無慈悲に殺戮されるという点において、事の大小で判断し、それぞれに制約を設けたところで、傷つき殺された方々にとっては大きな違いはありません。

仏教講座でもたまにお話していますが、物自体に善悪はありません。

核兵器であろうが包丁であろうが、「存在自体が悪」ということはないのです。

その「物」をどう扱うか、という人の心(動機)が善悪を決めます。

私たちは包丁を使って、日常的に便利に料理をすることができます。

家族や、食べてもらう人たちのことを想い調理している時、包丁は「悪いもの」ではありません。

平和的に使っていれば何の問題もないものが、害心を持った人の手にあった時に凶器に変わります。

核兵器も、現在単に「抑止力」というだけの存在であるならば、その傘に守られている国にとっては(一時的であるにせよ)有益と言って良いでしょう。

これから、「非核の傘」を実現するための行動の中で、核兵器削減は断固として為されていくべきことですが、かといって即座に実現できるようなものでないことは誰の目にも明らかです。
その間、今の世界の状況において、「撃たれずに抑止力になっている」うちは多くの人々にとって必要なことと、私は認識しています。

ただし、撃たれた時の悲劇は言うに及ばず、そのような使い方は絶対にあってはならないことです。

今回の「平和宣言」や「平和への誓い」は、特に核兵器を撃てる立場の人々にしっかりと届け、その行為がどれほどの凄惨な結果をもたらすかを正しく認識して頂きたいと思います。

本当の意味での世界平和をもたらすには、「危険なものを次から次へと排除していく」という発想ではなく、様々な物を扱う世界中の人々の「心を育てる」ことが大切だと、私は考えています。

害心を持たない人に、どんな殺戮兵器を持たせようが、その兵器は人を殺すことは無いでしょう。

逆に、害心を持った人に、箸一膳、フォーク一本でも与えれば、それは人を殺す凶器となるでしょう(物を使わなくても、素手でも一緒のことですね)。

心を正しく理解し、制していくこと。

害心から離れる生き方をすること。

釈尊が説かれたこれらの教えは、今の世界に切実に必要なものだと思っています。

本当に世界中の人々が平和に暮らせる日常が来ることを願ってやみません。

合掌

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