1. HOME
  2. お知らせ
  3. お便り
  4. 新年を迎えて(令和4年寅年)

新年を迎えて(令和4年寅年)

お健やかに佳き初春を
お迎えのこととお慶び申し上げます
御尊家皆々様のご健勝とご多幸を
心より祈念申し上げます
令和四年 壬寅 元旦



お陰様で、当山では平穏無事に令和4年を迎えることができました。

除夜の鐘の際は、2年ぶりの鐘つきにも関わらず、多くの方々の御参詣を頂き、大変ありがたく存じております。

以前から来て頂いている方もいらっしゃれば、まなびや参加者方々含め、今年初めてという方々もいらして下さり、皆様に鐘撞きをして頂きました。

世界の状況と比べますと、日本の新型コロナ感染状況は小康状態にあるようですが、各地域で感染者数が微増となっており、今後オミクロン株の影響がどれほどのものになるか、まだまだ油断できません。

引き続き、粛々と感染拡大防止対策を心がけると共に、感染拡大早期収束および皆様の安寧を祈念いたしております。


さて、昨年はデルタ株の感染拡大があったこともあり、ご法事のお申込みは若干減り、棚経参りも再開できない状態が続きましたが、時間を持て余すような暇は殆どなく、粛々と寺の作務や資料の整理、寺子屋の準備・実施や育児に追われた一年間でした。

また、思うところがあり、これからの宗団を背負っていくであろう青年僧侶向けの各種勉強会も、本格的に始めさせて頂きました。

高野山も内局が一新され、世間の時流に合わせた様々に意欲的な新しい動きが出てきていることは何よりですが、私は将来の宗門をしっかりと存続させていくためには、まず僧侶の基礎研鑽、確かな教育が必要であると感じております。


弘法大師空海上人が開かれた真言宗という教えは、大変深遠で意味深いものです。

そうしたことを優先的に学び、行をすることは大切ですが、真言宗を学ぶ前段階としての「仏教の基礎」や、日本仏教への信心を支えてきた民間信仰についての理解が僧侶自身に無ければ、現在の「日本仏教」の存続意義は、次第に薄れ、衰退していくでしょう。

私が必要と感じているのは、一部の人にしか理解できないような難解かつ高度な教えではなく、一般の方々の不安や苦悩にきちんと寄り添えるような、「仏法を支える基本的な教え」あるいは、日本人の倫理・道徳観を支えてきた「民間信仰の基本」です。

様々な方便を用いるには、その僧侶がきちんと仏法を知っていなくてはなりません。

方便しか知らず、その方便自体が目的になっているようでは、いわゆる新興宗教と同列に見なされても文句は言えません。


幸いなことに、真言宗に伝わる各次第や仏前勤行次第の中には、仏教についての基本がたくさん詰まっています。

一言一句、お次第の内容を順序よく学んでいくだけでも、かなりの研鑽を積むことができると思っています。

その上で、自分自身に出来る範囲とやり方で、現代社会の様々な苦悩に向き合い、それぞれに縁ある方々へ法縁を広げていくことが大切なのではないでしょうか。

当山住職も勉強中の身ですので、常の課題とし、以後も精進して参ります。


現代社会は、様々な技術革新の上に、AIをベースとした新しいステージへの過渡期にも見えますが、どんなに便利な世の中になっても、心の問題はいつでもあります。

どんなに素晴らしい性能をもった機器や技術あるいは知識も、使う人間の心が誤ったものであっては話になりません。

機器や技術、知識が問題なのではなく、それを使う人の心が問題です。
これは、今から約2500年前の釈尊の時代と変わらない事実です。

正しい理論や理解に基づく「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意(諸々の悪をなすなかれ。多くの善行をせよ。自らの心を清めよ)」という仏教の基本的な考え方について、理解や実践を広めることが、より良い社会を作っていくための必須事項だと信じております。


ちなみに、仏教の教えというものは単なる押し付けで信仰していくものではありません。

12月の「やさしい仏教講座3【帰依について】」でもお話させて頂きましたが、可能な限り自分で精査し確かめ、自分自身がしっかりと納得をしてから信頼する、ということが仏教徒の信心のあり方です。

お釈迦さまは、ご自身の教えですら、「私の教えをすぐに信じてはいけません」とお説きになっておられます。

教えの内容が正しいものかどうか、自分でよく調べ、考えて、その教えを受け入れるかどうかは自分自身で判断する、ということが大切です。

「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意」について、なぜそう言えるのか、順序立てて理解し、自分で納得して初めて素直に「信じる」ことができ、実践できるようになるのだと思います。


法事や葬儀、各種ご供養は寺院の大切な仕事ですが、同時に、寺院は本来仏法を広める場でもあるはずです。

当山では法事や葬儀の際、極力お話をさせて頂くようにしておりますが、儀式供養の時間があるため、大体が10~15分のお話で終わってしまいます。

まなびや仏教講座では1時間~2時間にわたって毎回お話をさせて頂くので、テーマを変えて、その都度充分に仏教の教えを説明することができます。

こうした場は、2年前までの当山では(御詠歌以外には)無かったことで、色々と試行錯誤もしておりますが、大変大きな意義を感じております。

なるべく、細く長くで継続していけたらと考えております。


長文になってしまい甚だ恐縮ですが、旧年を振り返り、私的な所感を書かせて頂きました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

合掌

大久保山 自性院山主

関連記事