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謹賀新年(令和8年 年頭所感)

お健やかに佳き初春を
お迎えのこととお慶び申し上げます
御尊家皆々様のご健勝とご多幸を
心より祈念申し上げます
令和8年 丙午 元旦



1月8日写経会より、令和8年のまなびやが開始となりました。次回のまなびやは、1月22日(木)の「はじめての仏事1」となります。各教室の開催情報は、ホームページでご確認ください。
https://jishouin.info/event/

写真は、除夜の鐘やお正月の当山です。今年も、多くの方々にお参り頂きました。


写経会にて少しお話をさせて頂きましたが、元来、年越や正月というものは、矢鱈と賑わい、騒ぐものではございません。

1年間無事であったことを神仏やご先祖様方に感謝し、悪行為を行ってしまった場合はそれを懴悔し、年神様を迎えるための準備をし、また年の始まりに際して一年間の決意を新たにする、そうした、粛々とした静謐な時間であったのです。

私たちは、いつのまにか、目に見えないものへの畏怖や感謝の心を忘れ、目に見えているものだけで良し悪しを判断するようになりました。

今、自分達の目に映るものしか認めなくなった現代人は、平気で目に見えないつながりを軽視し、無視しようとします。

それがまるで、「賢い現代人、知識人」のように感じる人が増えているのです。


現実は、まるで違います。

私たちは、今自分たちの目に見えていない、認識できていない無数のつながりの中で存在しているのです。

私たちが「便利だ、楽だ」と喜ぶ陰で、多くの方々がたくさんのご苦労をされていらっしゃるのです。

私たちが「幸せだ、楽しい」と感じる横で、不幸や苦しみを噛みしめて耐えている方々がいらっしゃるのです。

あるお金持ちで権力を持った人が、自分たちは先進的で知的で裕福な人間である、これからもそうでなくてはならない、下等な人間とは違う、と強く思い込んでいる時、彼らが日常的に使っている道具や機械や衣服が、どんな国でどんな過程でどんな人達がどんな思いでそれらを作って下さっているか、全く見えていないのです。

力こそ正義、強き者が勝者と信じ込んでいる人は、かつて自分が無力な赤ん坊であったことを忘れているのです。

そして、いずれはまた無力な老人となることも、見えてはいないのです。

ただ、今見えているものだけを信じ、執着する人は、そのような現実逃避をしたがる人です。


そもそも、私たちがこの世に存在し、身体を得ているのならば、それは自分自身につながるご先祖様方の人生が無ければなりません。

両親や祖父母のことは分かっていても、4代、5代と遡って行けば、次第に顔も分からなくなります。

顔も分からない、知らないご先祖様方であったとしても、その方々の人生が無ければ今の私たちは居ません。

また、身体の設計図はご先祖様方から頂いているにしても、私たちの血肉となっているのは、生まれてこの方、摂取し続けている様々な命です。

他の生命を食べていかなければ、私たちは生きることができません。

単に「食べ物」と見ているものであっても、それはかつて命を持った「生物」であり「植物」であったのです。

それらの命は、「食べ物」と見ているそこには見えていません。

しかし、それらはかつて、確かにあったものなのです。


私たちは、そうした「今自分が見えていないもの」に対し、あまりにも無関心で、あえて見ないようにしているとさえ思える生き方をしています。

今、見えているものだけに執着し、他の視点を疑わない心から離れること。

今、見えていない無数のつながりに、しっかり気づき、感謝できる謙虚な心を育てること。

まずは、その辺りから意識して生活してみることが、現代人にとって大切なのではないかと感じています。

皆様にとって、この一年がより深き学びの年となりますよう、心より願っております。

合掌


大久保山 自性院
住職 山本高寛

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