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青木宮と権現堂

鬼谷山権現堂から
 久保村権現堂へ

寺伝によれば、寛元元年(1243年)9月17日、当地内に青木宮が建立されましたが、この時に不動堂は青木宮に属し、鬼谷山権現堂と改称、以後は自性院が別当としてこれを管理したとされます。

しかしながら、その後の歴史の中で当山は度重なる災厄に遭い、特に永正年間の兵火の大災厄の被害が甚大で、一宇も残さず堂宇は悉く消失しました。
その後、仮の小堂を建てるも再建の目処なく、元禄年間に至って自性院としての古記録の資料等は失われたと言います。

いつの頃からか、善住山自性院地蔵堂は久保山自性院地蔵寺と改称され、青木宮は青木大明神社と改称され、権現堂は久保村権現堂として、それぞれ明治維新まで存続するも、神仏分離によって廃仏となり、権現堂本尊不動明王の尊像は行方不明のまま現在に至る、と伝えられております。