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権現堂の再建

多くの方々のご協力の下
昭和五十九年に再建叶う

安政2年(1855年)に第28世満賢房霊明法印が三間堂を建立し、昭和2年(1927年)、第34世髙橋英禅僧正が参道の石段等を整備、昭和36年(1961年)に、第37世聖善が自性院本堂再建を果たしますが、権現堂の再建は中々叶いませんでした。

そんな中、当時の当山総代であった下永谷の笠原勇武氏より旧母屋の大黒柱を権現堂御本尊不動明王像の材料にと御寄進頂き、上大岡眞光寺第39世政岡智秀大僧正へ彫刻のご依頼をさせて頂いたことから機運が大いに高まりました。

地元の港南建設社長笠原真一氏による建設工事協力の申し出もあり、当山総代世話人始め檀信徒諸家の方々に支えられ、昭和58年3月に善住山権現堂は無事に再建されました。その後、昭和59年に落慶入佛法要を行い、完成した新たな不動明王像を御本尊に迎え、今日に至ります。

(*以上、権現堂の由来等に関する文章は、昭和59年に第37世聖善和尚が当権現堂の落慶入佛法要を行った時の案内文を要約し、まとめたものです。)

現在の権現堂には、本尊不動明王立像のほか、正面向かって右方に新四国東国88ヶ所霊場第66番札所本尊として千手観音菩薩立像、向かって左方に釈迦如来坐像が安置されております。

看板の文字は、正面上部に掲げられている「善住山 権現堂」は辛うじて読めますが、横に掲げられているものは文字がほぼ残っていません。

ここには、安置させて頂いている仏様の名前が書かれていたはずで、向かって左から順に、「釈迦如来」「(大聖)不動明王」「千手観音菩薩」と思われます。

ちなみに、権現堂では毎年正月三が日早朝に読経を行っておりますが、その際に使用する磬子は明治15年に奉納されたものです。

作られてから130年以上経つ磬子ですが、今でもとても良い音がいたします。

銘文には、「明治十五午年一月 武蔵国久良岐郡 久保村自性院什物 竹内自覚代調之」の他、久保村、最戸村、永谷村、別所村の笠原家、大津家、若林家、髙橋家方々それぞれ供養の為書きと施主名が記されております(「竹内自覺」という方は当山第30世住職で、自覺房明道僧正のことです。明治3年~明治18年まで当山住職をお勤め下さいました)。