1. HOME
  2. 歴史
  3. 勘九郎地蔵尊の由来・伝承

勘九郎地蔵尊の由来・伝承

病気平癒・商売繁盛に
ご利益のあるお地蔵様

当山の山門石標より石段を上がっていくと、左手に小さな地蔵堂があります。

ここには、両脇に六地蔵尊、正面に勘九郎地蔵尊が安置されております。

万治三年五月十五日(1660年6月22日)の刻字があり、今から約360年前に建立された古いお地蔵様です。

この勘九郎地蔵尊は、当初は自性院の寺領があった武相の国境、現在の南区六ツ川との境にある永谷村にあったものです。

勘九郎地蔵尊については次のような伝承があります。

昔、勘九郎という歌舞伎役者(一説には金沢の薬売り)が旅の途中に武相国境付近を通りかかったところ、盗賊に襲われて命を失ったそうです。

それを哀れと思った村人たちが、供養のために建立したのがこの勘九郎地蔵尊だと伝えられております。

勘九郎地蔵尊は、当初は道標と共にあり、人々の旅の安寧を見守っていましたが、ある時、村で疫病が流行り、多くの方々が亡くなる事態になったことがあったそうです。

そこで、村の方々がこの勘九郎地蔵尊を供養し祈願すると、たちまち疫病が鎮まりました。

それから、この勘九郎地蔵尊は地域の方々の深い信仰を集め、病気平癒、商売繁盛、イボとり等の御利益があると言われるようになったそうです。

その後、より多くの方々にお参りしていただけるよう、勘九郎地蔵尊は享和4年4月(1804年5月)に自性院境内へ移設し安置されました。【*注1】

ちなみに、元々勘九郎地蔵尊があった場所(横浜市南区六ツ川)には、現在2代目の勘九郎地蔵尊が祀られています。

こちらは、明和9年11月(1772年)に建立された地蔵尊で、当時は道標も兼ねていたようです。「明和」は、明和9年の11月16日に改元されて「安永」になっていますから、改元間近に建立されたお地蔵様ということになります。二代目の勘九郎地蔵尊も地域の方々の信仰を集め、現在でも手厚く祀られているそうです。

【*注1】…この旧暦記述は髙橋英禪師作の「久保山自性院秘蔵勘九郎地蔵縁起」によります。しかし、享和4年は2月11日に改元となり文化元年となっていることから「文化元年4月」という表記が適当かと思われます。