涅槃図絵解きを実施しました
2月15日は、日本では釈尊入滅の日とされ、この時期は多くの寺院で釈尊を偲び、仏恩に感謝する涅槃会が営まれます。
当山では、今年は2月10日~2月15日までの期間で本堂正面に寺宝の釈迦涅槃図を掲げ、公開させて頂いております。
また、本年は2月10日と2月12日に「釈尊の人生に学ぶ 涅槃会特別版」として涅槃会法要および涅槃図絵解きをさせて頂きました。
当山涅槃図は、天保13年に当山27世住職堯禪(ぎょうぜん)和尚がお持ちになられたものですが、この時の干支は「壬寅」でした。
令和4年も同じく「壬寅」ということで、今年はちょうど十干十二支が3周した180年目にあたります。
この干支循環の節目に涅槃図絵解きを再開できたことに、大変大きな意義を感じております。
この涅槃図を堯禪和尚がお持ちになられた江戸時代の頃は絵解きも行われていたはずですが、段々涅槃図を掲げて涅槃会を修するのみになり、37世の頃には涅槃図を掲げることも無くなってしまいました(この頃は、寺や寺族の生活を支えるために住職が役所仕事や学校仕事を兼業するようになり、当山での仏教行事まで手が回らなくなっていたことが理由のようです)。
さて、涅槃図というものは、一枚の絵の中にいくつものエピソードが散りばめられています。
その描き方の原典は涅槃経や大般涅槃経にあるのでしょうが、その時代の文化や時代背景、絵師の流派や趣向により様々なバリエーションがあり、一度調べだすと止まらないくらいに興味深いものです。
当然、絵解きを行う語り手によってもその涅槃図が果たす役割は異なって来ますので、多種多様の涅槃図があることに加え、様々な視点の絵解きがある、となってきますと、無限の魅力がある方便の手段ではないかと感じております。
例えば、当山の涅槃図は愛知県で江戸時代に人気の出た涅槃図下絵(一昨年、名古屋の曹洞宗寺院様にて原本となる下絵が確認されたそうです)を元にして制作されたものです。
愛知県安昌寺様の涅槃図と8割方同じ構図となっており、他にもその下絵を元にした涅槃図は全国に散見されます(インターネット上でザッと検索してみただけでも、似たような構図の涅槃図は7点ほど確認できました。近現代になって制作されたと思われる彩色がハッキリとしたものも2点ありました)。
このタイプの涅槃図に特徴的なのは、非常に絵解きがしやすい構図になっていることです。
まず、描かれている人物にはほぼ全て名前が入っています(名前が入っていないのは右上方に描かれている「阿那律」と「摩耶夫人」と天人、そして動物39種45匹ですが、これらは分かりやすく描いてあるので、江戸時代の訓蒙図彙等を確認することで、全種名称は判明しました)。
これは、最も助かる点で、今回の絵解きにあたり、この涅槃図に書かれている約80名の素性を調べることが容易でした(多くの涅槃図には名前が書かれていないので、その場合は様相や位置、持物等で判断します)。
また、純陀(チュンダ)が釈尊宝台の真下に来ており、目立つ位置に描かれています。これは、涅槃図絵解きの冒頭で必ずと言っていいほど出てくる純陀の食事供養の話の際、分かりやすい位置に描いた、ということだろう、と、「よく分かる絵解き涅槃図」著者でいらっしゃる竹林史博先生よりご教授頂きました。
他にも、描かれていることが少ないと言われる「猫」(とはいえ、実際はかなりの数の猫入り涅槃図が実在します)や、涅槃経にてこの場に「居ない」とされている人物が描かれていたり等、色々な特徴がある涅槃図ですが、詳細はまた当山絵解きの中で、追々にお話しできればと考えております。
しかしながら、今回の当山涅槃図絵解きにつきましては、初回ということもありますが、まだまだ勉強不足であり、正直「絵解き」という「語り」を実現することはできませんでした。
住職自身の実感としては、絵解きというよりは、「涅槃図解説」になってしまったような感触があります。
これから、他のお寺様等で実施されている絵解きを色々と参考にさせて頂きつつ、毎年涅槃会時期に合わせ実施する「絵解き」の質を向上させるため、精進してまいります。
今回絵解きにご参加頂いた皆様にも御礼申し上げます。
拙い絵解きにおつきあい頂き、感謝いたします。
また今後ともよろしくお願い申し上げます。
合掌
※今回の絵解きを行うにあたり、昨年勉強の過程で、「涅槃図物語」「よくわかる絵解き涅槃図」等の著者、竹林史博先生(山口県 龍昌寺ご住職)におかれましては、ご丁寧なお手紙や各種資料を賜る等、大変お世話になりました。重ね重ね、御礼申し上げます。