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真言宗寺院の御本尊様がそれぞれに違う理由

客殿玄関脇のプランターに植えて頂いているケイトウを、逆光で撮影してみました。
真上から見るよりも、なかなか鮮烈な印象になります。

逆光の写真は、太陽の光だけを撮ってもあまり面白いものではありません。
何か、他の被写体に光が跳ね返ることで、印象深い写真になります。


ところで、光そのものには、「色」がありません。
ただ、眩しく感じるだけです。

光が何かにぶつかって跳ね返って来たとき、私たちの目はそこに「色」を感じます。


真言宗の根本本尊である大日如来が体現している宇宙の真理は、そのままでは太陽の光と同じ無色透明であり、私たちの目に見えてくることがない(理解することができない)そうです。

太陽の光をプリズム等で分光すると、鮮やかな色が現れますが、そのように、大日如来の真理を様々な形に分光して現れるお姿が、いわゆる様々な諸仏諸菩薩であると説かれることがあります


ですから、真言宗の各寺院は御本尊様がそれぞれに違います。

当山ではお地蔵様が御本尊ですし、法類の真光寺様は阿彌陀如来様、近隣の京急線沿いで有名な弘明寺様は十一面観音様が御本尊です。

そのように、真言宗寺院では根本本尊を大日如来としつつ、その各寺院に縁の深い仏様を、様々に御本尊様としています。


私たち個人も、それぞれの機根、因縁によって、縁深い仏様がいらっしゃるそうです。

人同士のお付き合いでも、合う・合わないといった相性がありますが…。

同じ仏縁を受けるにしても、ある人はお地蔵様、ある人は阿弥陀様、ある人は不動明王、というように、それぞれに合った法門があるようです。


どの仏様のご縁によっても、大日如来の真理につながっていくそうですが、残念ながら、自動のエスカレーター式ではありません。

どのような仏縁とぶつかって跳ね返り、どのような仏道につながっていくのか。
それはひとえに、私たち自身の日々の行為にかかっています。

自らの心に正しく菩提心を起こし、精進していくことが大切です。

合掌

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